2005/7/25 月曜日

【kikuyoooコラム】嗚呼素晴らしき哉、高校スポーツ!!

高校スポーツには、独特の、残酷さ、美しさ、そして何よりも素晴らしさがある。

今回は人々がそのように捉える高校スポーツという存在そのものについて触れたい。

具体的理由は以下の3点であると筆者は考える。

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①時は繰り返せない

プロスポーツにはある程度継続性があるといえる。野球を例にとると、選手はある程度固定されているし、対戦カードの組み合わせも固定されている。

一方で、高校スポーツは、3年間という短期間の中で、結果を出すことになる。毎年先輩が抜けていき、そして後輩が入ってくる。そして気づけば自分が最上級生となっている。つまり、新陳代謝が非常に激しい。毎年毎年が仲間との巡り会いであり、同時に、勝負である。

その上、選手がその年の1年間、3年生にとっては3年間のすべてをぶつける大会は数少ない。野球であれば春夏の甲子園であるし、サッカーであれば冬の選手権である。他のスポーツにもインターハイの桧舞台が用意されている。しかし、これらチャンスは多くても数回しか巡ってこない。ただでさえチャンスが少ない環境にあって、その上、大会に臨むシチュエーションを再現することは二度とできない。団体競技であれば、上記理由から同じチームメイトで連続してインターハイに出場することはできないし、個人競技であっても、その時のコンディションが来年に再現できるとは限らない。

このような環境は選手にとって儚く残酷であり、そしてそれに全力で臨む選手のプレーが人々に感動を与えるのである。

②ただひたすら勝利のみを

たとえば、プロ野球で平凡な内野ゴロを打った打者は、ゆっくりと一塁に向かう。全力疾走はしない。それは、あえて望みの薄いプレーで無理をして怪我をすることはない、次の場面で結果を出せばいいという考えと、怪我をしてパフォーマンスが落ちる、さらには試合に出られないということになると、年俸が下がる。また、相手も守備がうまいので、そうそうはエラーしてくれないということもある。そのような総合的・合理的判断から、全力疾走はしない。

一方で、高校球児はどうだろうか。どのような状況であっても(たとえ9回2アウト、ランナー無しであっても)、内野ゴロであっても全力疾走する。時には少しでも生還する可能性を高めるために、ヘッドスライディングも辞さない。

このように、高校スポーツではすべてのプレーが全力であり、手を抜く、あきらめる、ということをしない。プロと高校生ということで、スパンの違い(前者は数十年におよぶこともある、プロにはその選手生命を断たれるというリスクもある)、環境の違い(プロには養うべき者がいて、生活費を稼ぐ)もあるが、そのような背景とは関係なく、眼前の状況に対して常に全力で臨む高校生のプレーは見ていて清々しいし、観客を大いに感動させる。若さあふれる全力プレーは大いなる魅力である。

③For the teamclassschoolOB・OG

高校スポーツでは、レギュラーを獲得できなかった選手は、その代わりに試合に出場している選手を、自分の分身としてベンチで全力で支援する。スタンドでは、同じ授業を受け、同じ食事を摂り、同じ時を共有している選手のクラスメイトが、仲間である選手に対して声を嗄らして応援する。また、かつて在校していた卒業生は、母校を誇りに思い、後輩、さらには年代によっては我が子のように選手を応援する。もちろんプロスポーツでも組織に対する帰属意識が無いというわけではないが、高校の3年間を共有している在校生、そしてかつて同じ状況にいた卒業生にとって、高校という組織に対する「仲間意識」には並々ならぬものがある。

高校生活の3年間は、人生において非常に貴重なものであると私は考える。人間を大きく大人へと成長させ、人格形成に大きく影響を与える期間である。そして同時に高校期は生徒にとって多感期でもあり、たくさんの仲間と過ごした3年間には、良い思い出、つらい思い出等々、多くの思い出が凝縮されていることだろう。つまり、高校3年間は人生において、最も濃密で、貴重な期間だと感じる人が多いのではないだろうか。

事実私は、「愛校心はある?」と聞かれたら、「ある!」と即答し、「それはいつ?(小学校、中学校、高校、大学、・・・?)」と聞かれれば「高校!!」とこれまた即答する。人生における高校3年間の位置づけは非常に大きなものがある。

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上記理由から、高校スポーツは、時に残酷であり、美しく、そして、素晴らしい。
私の場合は、母校サッカー部に特に熱を入れているが、卒業して年月が経っても、未だに心臓に悪い応援をしている。(在校生当時の全校応援の緊張感・それから得られた感動といったらあったものではなかったが、卒業しても未だ、心臓への負担は変わっていないのである。)ただ、この“心臓に悪い”応援は、私に熱いパッションがあるからこそ感じることのできる快感なのであり、そのような楽しみをいつまでも与え続けてくれる高校を私は誇りに思うのである。

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